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勝利をのぞみ(マルコ1:12,13) 20240505
マルコは、新しいエリヤとしてバプテストのヨハネを描いています。
そして、荒野の誘惑物語の中で、洗礼(バプテスマ)を受けたて主イエスを新しいアダムとして登場させたのです。
主イエスは、単に神の国の到来を伝えるメッセンジャーなのではありません。イエスの言動そのものにおいて、メシヤの時代の幕開けがなされた、とマルコは記しているのです。
「荒れ野」のようなところにいるようでも、主イエスがその「荒れ野」を退けてくださったゆえに、死への勝利があり、病への勝利があり、罪への勝利があるのです。マルコは、主イエスが洗礼(バプテスマ)を受けて、ただちに起こった悪魔の誘惑という出来事は、神御自身の敵であるサタンとの戦いであったこと、そしてその勝利をはっきり示しているのです。そしてわたしたちは、「勝利をのぞみ」(讃21-471番)と賛美するのです。
abba 杵築教会
2024年5月5日読了時間: 9分
主イエスの任職式(マルコ1:9-11) 20240428
マルコによる福音書1章9節に記されているとおり、主イエスは、ガリラヤのナザレという町で育ちました。自分が救い主としての使命に召されていることはすでに明確に分かっておられたと思われます。しかし、いつその歩みを始めるのか、「神の子イエス・キリストの福音の初め」の時を待ち続けたのです。そのような中で、洗礼者ヨハネが現れ人々に洗礼を授けていました。主イエスもその洗礼を授けられたうちの一人として、洗礼者ヨハネから洗礼を受けるとイエスには神の声が直接的に臨みました。
ここで主イエスは救い主として任職され、神の福音を宣べ伝える歩みを開始されたのです。主イエスが受けられる洗礼は、他の人たちとは大きな違いあります。それは主イエスは、特別な使命に召されているからです。
abba 杵築教会
2024年4月28日読了時間: 9分


初め(マルコ1:1-8)20240421
マルコによる福音書は、1節に「神の子イエス・キリストの福音の初め。」と記されていますが、これは表題そのものです。文章には、主語と動詞があるものですが、これには動詞がありません。レポートのタイトルのようです。しかもその中に、「福音」という言葉が入っています。マルコは、初めにまさにこれから書こうとしているのが「福音」なのだ、ということを明確に主張しているといってもよいと思います。
abba 杵築教会
2024年4月21日読了時間: 4分
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