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ゲッセマネの祈り(マルコ14:32-42) 20250831
主イエスの十字架とは、天の父なる神に従うという主イエスの自主的な判断でもありました。その生涯を通じて主イエスは、多くの苦しみを味わい、従順を学ばれて、すべての人々を救う使命を完遂されるのです。
「私たちのうちに何かあるから立ち向かえる」というのではありません。
祈りにおいて勝利して、「神が成し遂げてくださる」という約束に対する信仰だけで、主イエスは立ち上がって十字架に向かうことができたのです。
abba 杵築教会
13 分前読了時間: 9分


ガリラヤへ行く(マルコ14:27-31) 20250824
わたしたちはこの人生において多くのつまずきをするこがあります。所詮、風が吹けばすぐにどこかへ飛んで行ってしまうようなもみ殻のような者で、飛ばされると戻ってくることができない者です。
しかし主イエスはわたしたちに、「先にガリラヤへ行く」と言ってくださっています。わたしたちは、主が集めて下さる「ガリラヤ」から再び始めることができるのです。
abba 杵築教会
14 時間前読了時間: 10分


新たに飲むその日(マルコ14:22-26) 20250817
25 節に、「はっきり言っておく。神の国で新たに飲むその日まで、ぶどうの実 から作ったものを飲むことはもう決してあるまい。」と書かれています。 この時の弟子たちと同じように、現代に生きるわたしたちがパンと杯に与る聖 餐を執り行うというということは、「神の国で新たに飲むその日」が来ている ということになります。そして「ぶどうの実から作ったものを飲む」というこ とをしていることになるのです。
まさに主イエスが仰った「その日」が、わた したちが杵築教会で行っている聖餐式においても到来しているのです。 聖餐にあずかることによってわたしたちは、世の終わりに約束されている救い の完成を垣間見て、その希望に支えられて、なお苦しみ悲しみの多いこの世を 主イエスの救いにあずかる新しい神の民として歩んでいくのです。
abba 杵築教会
8月17日読了時間: 9分


まさかわたしのことでは(マルコ14:10-21) 20250810
わたしたちは皆、主イエスを裏切る思いを心の中に持っており、「まさかわたしのことでは」と恐れおののいて言わざるを得ないものです。
それでも、主イエスの恵みによる招きを受取り、それに応えて洗礼を受け、み言葉を聞き、聖餐によって養われて生きて行く事によって、不幸だ、わざわいだと言われる人生ではなくて、生まれなかった方が、その者のためによかったなどと言われることなく、生れてきてよかったもの、かけがいがないものとして、幸いな、祝福をいただく、神が喜んでくださるまことの道を歩み続けることができるのです。
abba 杵築教会
8月10日読了時間: 9分


ナルドの香油(マルコ14:1-9) 20250803
最後の9節で主イエスは、「はっきり言っておく。世界中どこでも、福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう」とおっしゃいました。
このみ言葉は、この女性の奉仕がいかに素晴らしいことだったかを語っているというよりは、主イエスが、ご自分の十字架の死による救いと結びつけられたことによって、一人の女性の自分に出来る精一杯のことをしようとした思いに対して彼女自身が思ってもみなかった大きな意味を与えてくださった出来事として、今も先ほどわたしたちも賛美したように全世界の教会において伝えられ賛美されているのです。
abba 杵築教会
8月3日読了時間: 9分


目を覚ましていなさい(マルコ13:28-37) 20250727
「目を覚ましていなさい」ということは、主人の帰りの備えをして待つことに他なりません。主人が出掛けて、いなくなって帰ってくるのかどうかも分からないということでは、わたしたちは、とても不安になると思います。些細な不安に囚われて、それが次第に大きくなることもあるかもしれません。しかし、わたしたちキリスト者には根源的な不安はありません。主イエスはむしろ、もっと大事なことを教えてくださっています。主人は必ず戻って来る、目を覚まして待っていなさい、と言われるのです。
abba 杵築教会
7月27日読了時間: 9分


呼び集める(マルコ13:14-27) 20250720
わたし私たちを選び、呼び集めて下さっている主イエスが、世の終わりに再び来られる時にも、わたしたちを選び、呼び集めて下さる、そのことを信じて わたしたちはこの世を逃げなければならないときには逃げながら生き抜いて行くのです。
そこにこそ、主はわたしたちに、世の終わりに向かう苦しみに対し、最後まで耐え忍ぶ力をも与えてくださるのです。
abba 杵築教会
7月20日読了時間: 10分


耐え忍ぶ者(マタイ13:1-13) 20250713
聖書が言う「忍耐」ὑπομένω(ヒュポメノー)とは、神が共におられることを信じて耐えることです。終わりを待ってただ我慢するというものではありません。夜明けを待つ輝く希望の忍耐です。神が共にいて、忍耐を支えてくださいます。そして、神が必ずよいようにしてくださるという、信仰に生きることができるのです。喜びのうちに、讃美を口にしながら、神と共に耐えるのです。わたしたちもそれならできそうです。神が備えてくださるよき終わりを見据えて歩むことができるのです。
abba 杵築教会
7月13日読了時間: 9分


へりくだって神と共に歩む(マルコ12:35-44) 20250706
たくさんの財産を持っていても、知らず知らずのうちにひそかに財産に束縛されている多くの人たちがいます。ところが、このやもめは何も持たないが、すべての財産から完全に自由な存在でした。このやもめは、神に明日を委ねることができました。主イエスの言葉に従って歩む存在であることを証ししています。そして新約聖書の中でのこのやもめのへりくだって神と共に歩む証しが、2000年の歴史の中で伝えられて不思議で美しいものになっているのです。
abba 杵築教会
7月6日読了時間: 9分


まことのわたしの掟(マルコ12:28-34) 20250629
主イエスは、マルコによる福音書12章34節で、「あなたは、神の国から遠くない」と言われました。遠くないと言うことは、何かが足りないと言うことでしょう。でも、近いということです。
方向性は間違っていないということです。
主イエスはその律法学者に、あなたの目の前にはわたしがいる、わたしを信じてわたしに従って歩むことだけが足りない。わたしの道を受け入れて全行程を走ることであなたは神の国の真実の市民になる。と教えておられたのです。
abba 杵築教会
6月29日読了時間: 10分


70代で献身し無牧教会に赴任 20250622
わたしの中に、たましいの収穫を「信じたい」と思うのと同時に、「駄目かな」とも思う弱さがあります。
自分の力ではなく主イエスに頼る、困難を神さまからいただく愛の試練として受け止める、その信仰をもって主イエスに聞き従う謙遜な者でありたいと願っています、
abba 杵築教会
6月22日読了時間: 1分


生きている者の神(マルコ12:13-27) 20250615
一見、これは「皇帝のもの」ではないかと思われるようなものも持っているかもしれません。しかしそれらはすべて神からのものなのです。神のものは神に返すという一つの基本に従って、わたしたちは歩むのです。わたしたちは、「神のものは神に返しなさい」と主イエスが言われて、「神のものとは何ですか」と問われたなら、信仰を持って「それはわたしです」と答えることによって、申命記26章18節に書かれている「宝の民」にさせていただくのです。
abba 杵築教会
6月15日読了時間: 10分


主がなさったこと(マルコ12:1-12) 20250608
神に遣わされた独り子主イエスは、神から与えられた使命を果たされるために、エルサレムに来られたのです。そしてわたしたちの罪を贖うために、この後十字架に架かられます。
その信仰に従って、今日もわたしたちはこうして礼拝を捧げているのです。
わたしたちのくだかれた心が、神が最も喜んでくださるわたしたちの実りの捧げものなのです。
abba 杵築教会
6月8日読了時間: 8分


神を信じなさい(マルコ11:22-33) 20250601
主イエスが、神を信じなさいと言われて信じたわたしたちの人生に、神は権威をもって介入して来られます。お前たちの主人はもはやお前たちではない、「主人はわたしだ」と神が宣言されてわたしたちを支配して下さるのです。
神のご支配に服従し、わたしたちの人生の主導権を主イエスに明け渡すことによってこそ、この救いの恵みがわたしたちにもたらされ、与えられるのです。
abba 杵築教会
6月1日読了時間: 10分


実を結ぶいちじくの木(マルコ11:12-21) 20250525
主が来られる終わりの時を待ち望みつつ、わたしたちは、つねに、主イエス・キリストを主人とする神の家を建て続けるのです。わたしたちが、主イエスの救いの下に集められることによって、家を建てる者の一人とされていくのです。そこには常に、すべての人の祈りの家としての実りがあります。
主イエスが再び来られる時にも、わたしたちは枯れずに、実を結ぶいちじくの木となっているのです。
abba 杵築教会
5月25日読了時間: 10分


子ろばに乗って(マルコ11:1-11) 20250518
主イエスのエルサレム入場は、このように子ろばに乗ってエルサレムに入るという象徴的な行動を通して、ご自身がメシヤであること、しかも力によるメシヤではなく平和の中にやって来る方であることを示しています。主イエスは、このとき自分が何者であるのか、革命や戦争をするためにやって来たのではなく平和をもたらすことが目的であることを公然と示したのです。
abba 杵築教会
5月18日読了時間: 10分


祈りの意味(マルコ10:46-52) 20250511
主なる神の知恵と知識を求め、神の御心を第一にして生きるなら、神に喜ばれ、それらの神の知恵と知識が与えられるばかりか、求めなかった地上での必要なものも与えられるのです。
さらに、マタイによる福音書11章26節には、「だから、言っておく。祈り求めるものはすべて既に得られたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになる。」と書かれています。
主イエスが言われていることをしっかり受け止めて、感謝の祈りをさせていただきましょう。
abba 杵築教会
5月11日読了時間: 10分


完全な身代金(マルコ10:32-45) 20250504
人間の歴史を振り返ると、ダビデのように身代金を支払わなければならないような事態が延々と続いています。
人は身代金を払えたとしても、また何らかの罪を犯すのです。罪の繰り返しが行われる中で、神はどうしようもないわたしたちを憐れんでくださいました。そして、罪のない神の独り子による「完全な身代金」としてわたしたちの罪の代価を支払ってくださったのです。
わたしたちが、罪との完全な決別を行うことを主は望んでおられるのです。
現代の教会に生きるキリスト者は、「完全な身代金」を信じて御言葉に従う者です。
abba 杵築教会
5月4日読了時間: 8分


神の愛と慰めに関するコンテンツ提供
今日は、私たちのサイトで提供している神の愛と慰めに関するコンテンツについて少し掘り下げてみたいと思います。聖書の説教解釈サイトとして、私たちは神の愛と慰めに焦点を当て、その教えを広めるために取り組んでいます。 神の愛について考えると、誰もが心から受け入れられる暖かさや包容力を感じることができるでしょう。
abba 杵築教会
5月4日読了時間: 2分


日本基督教団 杵築教会の重要情報提供
杵築教会のウェブサイトでは、さまざまなテーマについての聖書の教えやメッセージが掲載されており、読者の皆さんがそれぞれの疑問や悩みに対して答えを見つける手助けとなっています。
さらに、杵築教会は、サイトを訪れるすべての方々に向けて重要な情報を提供することを目指しています。信仰に関する情報だけでなく、生活や社会におけるさまざまな問題に対する考え方やアドバイスも提供しており、より豊かな人生を歩むための支援をしています。
杵築教会のウェブサイトを通じて、皆さんが心の平安や力を見つける手助けとなることを願っています。ぜひ、興味を持たれた方はサイトを訪れてみてください。どうぞよろしくお願いいたします。
abba 杵築教会
5月4日読了時間: 1分
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