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信じた人々の群れ(使徒4:32-5:11) 20260329
4章32節に、「信じた人々の群れは心も思いも一つにし、一人として持ち物を自分のものだと言う者はなく、すべてを共有していた」と書かれています。
「心も思いも一つにし」ということが、全ての前提です。持ち物を共有する前に、まず心と思いが共有されていたのです。
神の独り子主イエスが、わたしたちの全ての罪を背負って十字架にかかって死んで下さったことによって、わたしたちの罪を贖い、赦しの恵みを与えて下さった、神の救いの恵みに共にあずかる信仰を共有したのです。すなわち、そのことを信じた人は、主イエスの十字架によって赦されなければならない罪人であることを受け入れたということです。お互いが罪人で、神に赦していただかなければ生きられないということにおいて、心と思いが一つになったのです。
abba 杵築教会
3月10日読了時間: 8分


大胆に神の言葉を語る(使徒4:23-31) 20260322
31節に、「祈りが終わると、一同が集まっていた場所が揺れ動き、皆、聖霊に満たされて、大胆に神の言葉を語りだした。」と書かれています。
29節にも「大胆に御言葉を語ることができるようにしてください。」と書かれていました。この「大胆」という言葉は、31節にも出てきます。元のギリシア語の言葉では「パレーシア」と言います。
古代のアテネで、世界で最初の民主主義が生まれましたが、民主主義を支える言葉が、「パレーシア」という言葉です。もとの意味は、包み隠さず話すこと、公に話すこと、誰でも自由に気兼ねなく話すことができる、という意味です。
教会の人たちは、「大胆に御言葉を語ることができるように」と願いました。語ることを禁止してくる権力者を排除してください、ではありません。そういう自由を抑制するような権力者がいて困難があるかもしれない、けれども「大胆に御言葉を語ることができるように」というのが教会の願いです。
abba 杵築教会
3月10日読了時間: 7分
隅の親石(使徒4:1-22) 20260315
ペトロは、詩編118編22節を引用して、あなたがた家を建てる者に捨てられた人こそが、主イエス・キリストであり、「隅の親石となった石」のことだと言っているのです。その意味するところは、捨てられた石とはイエスが人々に拒否され十字架につけられたことを指し、隅の親石となったというのは、神がイエスをこの男の救いの中心にされたというなのことです。
そしてここでは、逮捕され尋問を受けているその場においても、生まれつき足の不自由だったこの人がいやされたのはナザレの人イエス・キリストの名によってであり、そのイエスをあなたがた、すなわちユダヤ人の指導者たちが十字架につけて殺してしまったが、その殺されたイエスこそが神が死者の中から復活させられた方である、と語ったのです。
abba 杵築教会
3月9日読了時間: 10分
ペトロの神殿での説教(使徒3:11-26) 20260308
22節以下でペトロが旧約聖書を引用しながら伝えたかったことを四本の柱と捉えて要約してみます。
第一に、主イエスが モーセが預言した「来るべき預言者」であることです。
第二は、主イエスの言葉を聞くことは 神に従うことになるということです。
第三は、主イエスは旧約の預言と契約の成就であるということです。
第四は、だからこそイスラエルは 悔い改めて神に立ち返るべきであると言うことです。
ペトロは、神の恵みの力の方が、人間の罪の力を上回っていると語ることによって、既にわたしたちは神の恵みの勝利の下に置かれているという、福音宣教の基本を示しています。
abba 杵築教会
3月8日読了時間: 9分
イエス・キリストの名によって(使徒3:1-10) 20260301
6節で、「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」と、ペトロがこの男に言っています。確かに教会には、「金や銀」はありません。何か魅力的なものがあるわけではありません。あるものはただ一つ。「イエス・キリストの名」だけです。
日本語で「名は体を表す」と言いますが、聖書では名前は、存在そのものを表します。「イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」と言う意味は、主イエス・キリストご自身と共に、立ち上がり、歩くことを求めているのです。そして、主イエス・キリストの道を一緒に歩きましょう。と言っていることになるのです。
abba 杵築教会
3月1日読了時間: 9分


喜びと感謝をもって(使徒2:42-47) 20260222
「そして、毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、神を賛美していたので、民衆全体から好意を寄せられた。こうして、主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされたのである」と書かれています。
「喜びと真心をもって」と「民衆全体から好意を寄せられた。」と言う言葉に着目したいと思います。わたしたちが、使徒の教えをしっかり聞き、聖餐にあずかることを大切にし、主イエス・キリストの恵みを分かち合い、それゆえにお互いの間での分かち合い、支え合いに喜びと真心をもって生きていくなら、教会は周囲の人々から、畏敬と好意を寄せられるようになるのです。
abba 杵築教会
2月22日読了時間: 8分


受難節灰の日のご挨拶 20260218
杵築教会のウェブサイトでは、さまざまなテーマについての聖書の教えやメッセージが掲載されており、読者の皆さんがそれぞれの疑問や悩みに対して答えを見つける手助けとなっています。
さらに、杵築教会は、サイトを訪れるすべての方々に向けて重要な情報を提供することを目指しています。信仰に関する情報だけでなく、生活や社会におけるさまざまな問題に対する考え方やアドバイスも提供しており、より豊かな人生を歩むための支援をしています。
杵築教会のウェブサイトを通じて、皆さんが心の平安や力を見つける手助けとなることを願っています。ぜひ、興味を持たれた方はサイトを訪れてみてください。どうぞよろしくお願いいたします。
abba 杵築教会
2月18日読了時間: 2分


主が招いてくださる者(使徒2:37-41) 20260215
今日の説教箇所では、人々からの「どうしたらよいのですか」という問いかけに対し、38節でペトロも「悔い改めなさい」とまず答えて、「めいめい、イエス・キリストの名によってバプテスマを受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として精霊を受けます。」と語っています。ペトロは、ここで「悔い改め」→「洗礼」→「賜物=聖霊」という、道行を示しているのです。
abba 杵築教会
2月15日読了時間: 8分


主イエスの十字架と復活(使徒2:22-36) 20260208
ペトロは「イエス」と言う言葉で説教を始め、36節で「キリスト」という言葉っで説教を結びました。このようにしてペトロは、この説教で、イエスこそがキリスト、メシア、救い主であることを語ったのです。
ペトロのこの時の説教は、終盤に向けて、ペトロの説教を語る口調も強くなっていきます。ペトロは聖霊に示されて、ふんだんに旧約聖書の言葉を引用しながら、神の約束の中にあるイスラエルの歴史をふまえて主イエスの十字架と復活を語っているのです。
ペトロの最も訴えたかったのが、この点です。
神がイエス・キリストを復活させてくださった、イエス・キリストは死や罪の敗北者にならなかった、のです。確かに主イエスは十字架につけられ、殺されました。そして墓に葬られ、陰府にまで降られました。しかしそこから復活されたのです。そして、この十字架と復活の出来事は、わたしたちのすべての信仰の土台になるものなのです。。
abba 杵築教会
2月8日読了時間: 8分


主の名を呼び求める者(使徒2:14-21) 20260201
ここで言う、若者の見る夢と老人の見る幻とは、見るものは同じものです。
息子と娘は預言し、若者と老人が同じ夢と幻を抱いているということです。すごいことですね。皆が共通の夢、共通の幻を抱いていてバラバラではないのです。だとすれば、老人が夢を語り、若者がそれを実現することだってあるでしょうし、逆に、若者が幻を語り、老人がそれを応援することだってあるでしょう。男女の違いは勿論、年齢のギャップも超え、すべての違いを超えて、どんな人にとっても救われる道が拓かれていくのです。実はヨエル書には、もう少し続きがあるのですが、ペトロのヨエル書の引用はここまでで、21節の「主の名を呼び求める者は皆、救われる」という預言の言葉で終えています。救いにあずかる者が呼び求める主の名とは、「イエス・キリスト」であり、キリストこそが救い主だと告げて、22節以降の説教に入るのです。
abba 杵築教会
2月1日読了時間: 8分


神の偉大な業(使徒2:1-13) 20260125
人間が造ったあらゆるものは、バベルの塔と等しいもので必ず壊れ、崩れていきます。一致できずにバラバラになってしまいます。しかし、一つになる唯一の道があります。それは神の言葉をもとに、一つに集められる道です。それ以外に道はないのです。
二千年前にペトロたちに聖霊が注がれ、「神の偉大な業」が語られました。世界の片隅で始まった「神の偉大な業」が、丸い地球の世界へと広がっていることに、ペトロたちが今この場に現れたら、びっくりするでしょう。
abba 杵築教会
1月25日読了時間: 7分


祈り、聖書、くじ(使徒1:12-26)20260118
使徒たちが聖霊降臨を待っている間にした、祈り、聖書、くじという三つのことは、切っても切り離せない関係にあるもので、一つに結びついていることなのです。このように、わたしたちの行動は、祈りと聖書に結びついて、最後はくじを引くように、すべては神の節理の中にあることと受け止めて行うことが、大切なことだと示されているのです。
初代教会の使徒たちは、主イエスから「待っていなさい」と言われた中にあって、一つになって祈りをし、聖書を調べていました。そして神が必要とされた十二人の使徒のうちの一人の欠員を選ぶために、くじを引くということによって神の節理に従おうとしたのです。
abba 杵築教会
1月18日読了時間: 9分


地の果てに至るまで(使徒1:6-11) 20260111
教会の歩みは、主イエスが天に上げられてからまたおいでになるまでの、昇天と再臨との間の歩みです。わたしたちには、復活された主イエスの証人として、主イエスのことを地の果てまで証しし、宣べ伝えていく命と力を与えられています。
その教会に連なって生きるわたしたちは、目には見えないけれども、しかし復活して永遠の命をもって生きておられる主イエス・キリストと共に生きることができるのです。
abba 杵築教会
1月11日読了時間: 9分


約束の聖霊(使徒1:1-5)20260104
わたしたちは2026年の年初から、天国のパスポートを持って、使徒言行録を読み始め、信仰によって使徒たちと共に聖書旅行に旅立とうとしています。
主が聖霊による主イエス・キリストの救いのみ業を体験させていただく準備を整えてくださいました。わたしたちに新たに約束の聖霊を与えてくださいます。
さあ、ご一緒に主の約束を信じて出かけましょう。
abba 杵築教会
1月4日読了時間: 8分
ヨセフの使命(マタイ2:13-23) 20251228
イエスの誕生も成長も神の御計画の中にあった出来事だと強調されているのです。 神のご計画の中で、主イエスは、他の人の手を借りなければ生きていけない幼子として、わたしたちのところに来てくだいました。夢で告げられたことに従順に従うヨセフのもとで命が守られて主、成長されます。大工としての仕事もヨセフに習って始めたのでしょう。やがてヨセフは自分の使命を果たして死去しますが、ヨセフの名前が出てくるのは今日の聖書箇所が最後なのです。
abba 杵築教会
2025年12月28日読了時間: 10分


飼い葉桶から十字架への愛(ルカ2:1-7) 20251224
そう考えてみますと、「飼い葉桶」も「十字架」も主イエスの愛を象徴するものとして受け取ることができます。主は、そのような一見忌み嫌うようなものをも用いてくださり、わたしたちのための救いのみ業を成し遂げて下さったことを知るのです。そして、主イエスの復活によって、わたしたちにも、死に勝利する新しい命の約束を与えて下さったのです。
わたしたちが今感じている様々な不安、憂慮、心配は全て、「飼い葉桶」から「十字架」への父なる神の愛のみ手の中にあることです。
神はわたしたちの困難も逆境をもご存じで、それらすべてを用いて、救いのみ業を必ず実現させて下さるのです。
abba 杵築教会
2025年12月24日読了時間: 8分
黄金、乳香、没薬(マタイ2:1-12) 20251221
わたしたちは、東方の博士たちのように黄金、乳香、没薬そのものを献げなければならないということではありません。なぜなら、そのよなものとは較べものにならない主イエスの十字架の死が、わたしたちの罪と咎の身代金として神の裁きの座に差し出されたからです。
ローマの信徒への手紙12章1節(新291頁)でパウロは、「こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。」と言っています。
abba 杵築教会
2025年12月21日読了時間: 10分
黒田恭介牧師:主の恵みを受け入れよう(マタイ1:18-25) 20251214
イザヤ書7章14節で預言者イザヤは言いました。「ダビデの家よ聞け。あなたたちは人間に/もどかしい思いをさせるだけでは足りず/わたしの神にも、もどかしい思いをさせるのか。 それゆえ、わたしの主が御自ら/あなたたちにしるしを与えられる。見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み/その名をインマヌエルと呼ぶ。」
そういうように、君たちがそんなにしるしを求めないなら、神様が御自身がしるしを与えてくださる。若い女の人がみごもって、男の子を産むでしょう。その人は、インマヌエル・つまり、神様が共にいてくださる、という意味の言葉なんですが、そういうことを実現してくれる人だ、ということなんですね。
abba 杵築教会
2025年12月14日読了時間: 9分


顎の骨の骨折経過報告 20251214
日本基督教団杵築教会 伝道師金森一雄 主の御名を賛美します。 2025年の待降節いかがお過ごしですか。私ごとですが、11月14日、散歩途中の6,580歩目に道路の細い切目にランニングシューズの右足の爪先がぴったりはまって、いきなり右足が取られた形で転倒しました。 着地が顎と胸で水泳の飛びこみのようになったようです。顎の左右の付け根と顎を骨折、歯も二本欠けましたが、頭や足腰には異常がありません。幸いなことに、転倒した現場は、杵築中央病院の入り口にあるガソリンスタンド前の道路でしたので、周囲の人に助けられて杵築中央病院に運ばれ、すぐにCTスキャン、レントゲンと顎の傷の手当を受けて、別府医療センターの口腔外科に運ばれました。 事故後、今日でちょうど一ヶ月。ここまでの主日礼拝がありましたが、「教師は治療に専心しろ」「クリスマスの準備も全員で」と言って、責任役員が輪番で説教の代読をしてくれ、またクリスマスの諸準備も全員が一致して進めてくれています。こんな風に、教師の不手際や怪我までも用いてくださる主がおられることを目の当たりにすることができました。
abba 杵築教会
2025年12月14日読了時間: 2分


恐れることなく主に仕える(ルカ1:57-88) 20251207
「これは我らの神の憐れみの心による。この憐れみによって、高い所からあけぼのの光が我らを訪れ、暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、我らの歩みを平和の道に導く」と、ザカリアは語っています。神さまの怒りを受けて滅びるしかないわたしたち一人一人の生まれつきの姿を見つめ、そのわたしたちの上に、神さまの憐れみによって、あけぼのの光が訪れ、わたしたちを照らして下さる、と書かれているのです。
わたしたちは、この光に照らされて、「平和の道」へと導かれるのです。
abba 杵築教会
2025年12月7日読了時間: 9分
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