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復活と救い(ルカ24:13-25) 20251012
今回の聖書箇所は、イエス様の救いにあずかったのに、霊的に目が遮られた弟子たちです。これは、文字通り私たちの姿です。
エマオ途上でのイエス様の出現を、イエス様がいつも我々と共におり、永遠の命と復活に導かれることを聖書は伝えています。
二人の弟子は、目が遮られ、イエス様であるとは気づきません。これは、我々の姿です。人生を振り返ると、その節目、節目で神様の導きがあった事実に、思い当たります。人生は、後で振り返ると、イエス様の助けなしには、乗り越えることはでみませんでした。でも、苦労や苦しさの只中にある時には気がつきません。悩みを抱え、不安な心で、困難を乗り越えさせてくださり、心の不安を癒やされた後になって、イエス様に守られた事実に、気がつき、改めて感謝を捧げる人生ではなかったでしょうか。
abba 杵築教会
23 時間前読了時間: 6分


沈黙の意味(マルコ15:1-5) 20251005
今日の聖書箇所では、主イエスの話された言葉はそれだけです。もし尋問の中で、主イエスが沈黙せず口を開いて、マルコによる福音書12、13章で主イエスが語られたように、祭司長、律法学者、長老たちを打ち負かすほどの答えをしたならば、ピラトはイエスに無罪の判決を下していたと思います。そうなると主イエスの十字架の出来事が起こらなかったことになります。主イエスがピラトの尋問の中で沈黙されていた理由は、ここにあるのです。
主イエスは、自分一人がわたしたちの罪を背負って身代わりとなって、ご自分が十字架に架かることを受容されていたのです。その決意をもって沈黙されたのです。すべてを父なる神にお委ねした神の独り子としての姿です。
abba 杵築教会
7 日前読了時間: 10分


キリストの光(マルコ14:66-72) 20250928
キリストの光に照らされて、その主イエスの恵みのみ手に気づかされる時、わたしたちは自分の罪に気付かされて泣くしかありません。しかし主イエスの恵みのみ手の中で泣くことができるわたしたちは幸いなのです。
その涙は、絶望ではなく赦されて新しく生きる希望をもたらすものとなるのです。
abba 杵築教会
9月28日読了時間: 8分


真理のために共に働く(ヨハネ三1-8)20250921
ヨハネは、8節で「だから、わたしたちはこのような人たちを助けるべきです。そうすれば、真理のために共に働く者となるのです。」と告げます。ガイオ自身は伝道のために、巡回伝道者のように外に出掛けることはしません。しかし、巡回伝道者を助け支えるというあり方で、主の福音伝道のために共に働く者となっているのです。ガイオは、ダビデに対するバルジライのように、神様に選ばれ立てられた者を支えるというあり方で、神様の御業に仕えていた。私たちも、そのような者として召されているのだと思うのです。
abba 杵築教会
9月21日読了時間: 8分


御心に適うこと(マルコ14:32-36) 20250921
主イエスは36節bで、その苦しみのど真ん中で、「しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように」と祈られました。
今日の説教題「御心に適うこと」は、ここから選ばせていただきました。
神の御心を受け入れ、それに従います、あなたの思い、あなたの最善がなるように、あなたにお任せします、神のみ旨が行われますようにという、深い恐れと敬いをもって父なる神への従順を示す祈りです。主イエスに与えられた使命は、地上に生命を受けたまことの人として十字架の苦しみと死、そして復活の道を歩むことによって、わたしたち人間の救いの道を啓示することでした。そのためには、主イエス自らがこの苦しみを経験しなければならなかったのです。そして神の独り子としてご自身の命をわたしたちの救いのためにささげる神の愛を、わたしたちに示してくださったのです。
それによってわたしたち罪人の救いが成就することになったのです。
abba 杵築教会
9月21日読了時間: 12分


天の雲に囲まれて来る(マルコ14:53-65) 20250914
主イエスは、いつかもう一度、天の雲に囲まれて来るのです。つまり神としての権威と力を帯びてこの世に来て下さるのです。その時には、主イエスが神の子、救い主であられることを、全ての人が見るのです。
その時わたしたちは、主イエスの復活にあずかり、永遠の命を生きる者へと復活します。主イエスが栄光をもってもう一度来られる時に、わたしたちも復活の命を与えられ、永遠に主と共に生きる者とされるのです。
それがわたしたちの救いの完成です。
abba 杵築教会
9月14日読了時間: 9分


聖書の言葉が実現する(マルコ14:42-52) 20250907
この物語で、唯一の希望を見出すことができる、光が見えてくる聖書箇所が49節です。
「しかし、これは聖書の言葉が実現するためである。」と、主イエス自ら仰っています。
一番身近にいた十二人の弟子の一人ユダに裏切られ、一番の弟子のペテロも恐怖に捕えられて弟子としてのあり方を失い、全ての弟子が逃げ去ってしまう、そのような中で主イエスはまるで強盗でもあるかのように捕えられる、これら全てのことが、聖書の言葉が実現するためである、つまり父である神のみ心であり、主のご計画によることなのだと、主イエスははっきりと意識しておられるのです。
この主イエスの落ち着いた歩みは、恐れや臆病に取りつかれた、主イエスを裏切り、あるいは逃げ去ってしまう周囲の人間たちの姿とは対照的です。
恐怖に捕えられて慌てふためき右往左往している人間たちと主イエスの堂々とした姿を同時に描くことによって、主の愛のご計画を遂行される主イエス・キリストの姿を指し示しているのです。
abba 杵築教会
9月7日読了時間: 9分


ゲッセマネの祈り(マルコ14:32-42) 20250831
主イエスの十字架とは、天の父なる神に従うという主イエスの自主的な判断でもありました。その生涯を通じて主イエスは、多くの苦しみを味わい、従順を学ばれて、すべての人々を救う使命を完遂されるのです。
「私たちのうちに何かがあるから立ち向かえる」というのではありません。祈りにおいて勝利して、「神が成し遂げてくださる」という約束に対する信仰だけで、主イエスは立ち上がって十字架に向かうことができたのです。
この方が、わたしたちの救い主です。この方でなければ、わたしたちのすべての罪を帳消しにしてくださることはできないのです。わたしたちは目を覚ましていなさいと言われても眠ってしまう力のない者です。皆さんの帳消しにして欲しい罪は何ですか?ご自分の心の板に書き記してください。たくさん自分の罪を書き記すことができた方ほど、主に祝福されて主の救いの恵みを沢山いただけるのです。
ハレルヤ!アーメン。
abba 杵築教会
8月31日読了時間: 10分


ガリラヤへ行く(マルコ14:27-31) 20250824
わたしたちはこの人生において多くのつまずきをすることがあります。所詮、風が吹けばすぐにどこかへ飛んで行ってしまうようなもみ殻のような者で、飛ばされると戻ってくることができない者です。
しかし主イエスはわたしたちに、「先にガリラヤへ行く」と言ってくださっています。わたしたちは、主が集めて下さる「ガリラヤ」から再び始めることができるのです。
abba 杵築教会
8月24日読了時間: 10分


新たに飲むその日(マルコ14:22-26) 20250817
25 節に、「はっきり言っておく。神の国で新たに飲むその日まで、ぶどうの実 から作ったものを飲むことはもう決してあるまい。」と書かれています。 この時の弟子たちと同じように、現代に生きるわたしたちがパンと杯に与る聖 餐を執り行うというということは、「神の国で新たに飲むその日」が来ている ということになります。そして「ぶどうの実から作ったものを飲む」というこ とをしていることになるのです。
まさに主イエスが仰った「その日」が、わた したちが杵築教会で行っている聖餐式においても到来しているのです。 聖餐にあずかることによってわたしたちは、世の終わりに約束されている救い の完成を垣間見て、その希望に支えられて、なお苦しみ悲しみの多いこの世を 主イエスの救いにあずかる新しい神の民として歩んでいくのです。
abba 杵築教会
8月17日読了時間: 9分


まさかわたしのことでは(マルコ14:10-21) 20250810
わたしたちは皆、主イエスを裏切る思いを心の中に持っており、「まさかわたしのことでは」と恐れおののいて言わざるを得ないものです。
それでも、主イエスの恵みによる招きを受取り、それに応えて洗礼を受け、み言葉を聞き、聖餐によって養われて生きて行く事によって、不幸だ、わざわいだと言われる人生ではなくて、生まれなかった方が、その者のためによかったなどと言われることなく、生れてきてよかったもの、かけがいがないものとして、幸いな、祝福をいただく、神が喜んでくださるまことの道を歩み続けることができるのです。
abba 杵築教会
8月10日読了時間: 9分


ナルドの香油(マルコ14:1-9) 20250803
最後の9節で主イエスは、「はっきり言っておく。世界中どこでも、福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう」とおっしゃいました。
このみ言葉は、この女性の奉仕がいかに素晴らしいことだったかを語っているというよりは、主イエスが、ご自分の十字架の死による救いと結びつけられたことによって、一人の女性の自分に出来る精一杯のことをしようとした思いに対して彼女自身が思ってもみなかった大きな意味を与えてくださった出来事として、今も先ほどわたしたちも賛美したように全世界の教会において伝えられ賛美されているのです。
abba 杵築教会
8月3日読了時間: 9分


目を覚ましていなさい(マルコ13:28-37) 20250727
「目を覚ましていなさい」ということは、主人の帰りの備えをして待つことに他なりません。主人が出掛けて、いなくなって帰ってくるのかどうかも分からないということでは、わたしたちは、とても不安になると思います。些細な不安に囚われて、それが次第に大きくなることもあるかもしれません。しかし、わたしたちキリスト者には根源的な不安はありません。主イエスはむしろ、もっと大事なことを教えてくださっています。主人は必ず戻って来る、目を覚まして待っていなさい、と言われるのです。
abba 杵築教会
7月27日読了時間: 9分


呼び集める(マルコ13:14-27) 20250720
わたし私たちを選び、呼び集めて下さっている主イエスが、世の終わりに再び来られる時にも、わたしたちを選び、呼び集めて下さる、そのことを信じて わたしたちはこの世を逃げなければならないときには逃げながら生き抜いて行くのです。
そこにこそ、主はわたしたちに、世の終わりに向かう苦しみに対し、最後まで耐え忍ぶ力をも与えてくださるのです。
abba 杵築教会
7月20日読了時間: 10分


耐え忍ぶ者(マタイ13:1-13) 20250713
聖書が言う「忍耐」ὑπομένω(ヒュポメノー)とは、神が共におられることを信じて耐えることです。終わりを待ってただ我慢するというものではありません。夜明けを待つ輝く希望の忍耐です。神が共にいて、忍耐を支えてくださいます。そして、神が必ずよいようにしてくださるという、信仰に生きることができるのです。喜びのうちに、讃美を口にしながら、神と共に耐えるのです。わたしたちもそれならできそうです。神が備えてくださるよき終わりを見据えて歩むことができるのです。
abba 杵築教会
7月13日読了時間: 9分


へりくだって神と共に歩む(マルコ12:35-44) 20250706
たくさんの財産を持っていても、知らず知らずのうちにひそかに財産に束縛されている多くの人たちがいます。ところが、このやもめは何も持たないが、すべての財産から完全に自由な存在でした。このやもめは、神に明日を委ねることができました。主イエスの言葉に従って歩む存在であることを証ししています。そして新約聖書の中でのこのやもめのへりくだって神と共に歩む証しが、2000年の歴史の中で伝えられて不思議で美しいものになっているのです。
abba 杵築教会
7月6日読了時間: 9分


まことのわたしの掟(マルコ12:28-34) 20250629
主イエスは、マルコによる福音書12章34節で、「あなたは、神の国から遠くない」と言われました。遠くないと言うことは、何かが足りないと言うことでしょう。でも、近いということです。
方向性は間違っていないということです。
主イエスはその律法学者に、あなたの目の前にはわたしがいる、わたしを信じてわたしに従って歩むことだけが足りない。わたしの道を受け入れて全行程を走ることであなたは神の国の真実の市民になる。と教えておられたのです。
abba 杵築教会
6月29日読了時間: 10分


70代で献身し無牧教会に赴任 20250622
わたしの中に、たましいの収穫を「信じたい」と思うのと同時に、「駄目かな」とも思う弱さがあります。
自分の力ではなく主イエスに頼る、困難を神さまからいただく愛の試練として受け止める、その信仰をもって主イエスに聞き従う謙遜な者でありたいと願っています、
abba 杵築教会
6月22日読了時間: 1分


生きている者の神(マルコ12:13-27) 20250615
一見、これは「皇帝のもの」ではないかと思われるようなものも持っているかもしれません。しかしそれらはすべて神からのものなのです。神のものは神に返すという一つの基本に従って、わたしたちは歩むのです。わたしたちは、「神のものは神に返しなさい」と主イエスが言われて、「神のものとは何ですか」と問われたなら、信仰を持って「それはわたしです」と答えることによって、申命記26章18節に書かれている「宝の民」にさせていただくのです。
abba 杵築教会
6月15日読了時間: 10分


主がなさったこと(マルコ12:1-12) 20250608
神に遣わされた独り子主イエスは、神から与えられた使命を果たされるために、エルサレムに来られたのです。そしてわたしたちの罪を贖うために、この後十字架に架かられます。
その信仰に従って、今日もわたしたちはこうして礼拝を捧げているのです。
わたしたちのくだかれた心が、神が最も喜んでくださるわたしたちの実りの捧げものなのです。
abba 杵築教会
6月8日読了時間: 8分
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