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聖書の言葉が実現した(マルコ15:21-32) 20251019

更新日:10月20日

本稿は、日本基督教団杵築教会における2025年10月19日の聖霊降臨節第20主日礼拝説教要旨です。 杵築教会 伝道師 金森一雄

(聖書)

イザヤ書50章4-9節(旧約1145頁) 

マルコによる福音書15章21-32節(新約95頁)

 

1.十字架の道行き

 

マルコの連続講解説教を続けて来ましたが、いよいよ主イエスが「十字架につけられる」ところまで進んできました。マルコによる福音書15章21節には、「そこへ、アレクサンドロとルフォスとの父でシモンというキレネ人が、田舎から出て来て通りかかったので、兵士たちはイエスの十字架を無理に担がせた。」と書かれています。

 

ピラトの総督官邸から主イエスを十字架を付けるために主イエスを外に引き出して(15:20)、ゴルゴダの丘までの道のりを歩かせた道のりだとして、現在ではエルサレムの東門から旧市街北西の聖墳墓教会内のイエスの墓までを、ヴィア・ドロローサ(苦難の道)と名付られています。その間に旧市街地の路地に9つ、聖墳墓教会内に5つ、合計14の留(りゅう)と呼ばれるイエスが留まった中継点が設けられていて、主イエスのそれぞれの留で起った十字架の史実を観光者が偲んでいます。市街地内の5番目の留が、シモンがイエスの十字架を背負わされたという場所です。シモンがイエスの十字架を担がされたモザイク画が飾られています。木の十字架はさぞかし重かったことでしょう。

 

マルコは、通りかかりのシモンについて、「アレクサンドロとルフォスとの父でシモンというキレネ人」と紹介しています。さらにシモンの二人の息子アレクサンドロとルフォスの名前と北アフリカのキレネの出身だということまで聖書に書かれています。そして、「田舎から出て来て」と書かれていますから、その時シモンは巡礼のためにエルサレムに来ていて周辺の田舎町に滞在していたのでしょう。シモンは、主イエスの十字架の出来事を知らずに、たまたまヴィア・ドロローサ(苦難の道)を通りかかったのです。

 

シモンの息子の一人「ルフォス」という名前を、ローマの信徒への手紙16章(297頁)で見つけることができます。ローマの信徒への手紙の最後16章で、パウロは、多くの教会の奉仕者の名前を挙げて、それぞれの人に向けて「個人的な挨拶」をしています。

ギリシャ語でἀσπάζομαι (aspazomai) 〇〇、英語だとgreet〇〇、という具合に、パウロは「誰々によろしく」と言う言葉を20回も用いています。その中で13節に、「主に結ばれている選ばれた者ルフォス、およびその母によろしく。」と、シモンの息子のルフォスの名前が登場しているのです。そして、ルフォスの母であるシモンの妻が、「彼女はわたしにとっても母なのです。」と、パウロの挨拶の対象として、家族ぐるみの交わりをしていたと思われる愛情のこもった紹介をされています。

 

シモンは、主イエスの十字架を無理やり担がされたことで、イエスと出会いました。こうして主イエスの十字架の出来事の証人となったシモンは、後にキリスト者となり、その後パウロと出会ってシモンの妻や息子ルフォスまで含めた家族ぐるみの付き合いをしていたのです。おそらく、ルフォスはその名前を聞けば誰だかわかるような教会の長老として大きな働きをしていたのでしょう。

 

22節には、「そして、イエスをゴルゴタという所――その意味は「されこうべの場所」――に連れて行った。」と書かれています。

「されこうべ」というのは、「しゃれこうべ」あるいは単純に「どくろ」とも言いますが、人間の白骨化した頭蓋骨のことです。主イエスが十字架につけられたエルサレムのゴルゴダの丘が、頭蓋骨のような形をしていたのでそう呼ばれていたのです。

 

いよいよ主イエスが十字架につけられます。23節に、「没薬を混ぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、イエスはお受けにならなかった。」と書かれています。当時は、受刑者が十字架につけられる直前に、痛みの感覚を麻痺させるために没薬が用いられていました。ところが主イエスはそれを拒否されます。主イエスは、十字架の苦しみをありのまま背負うことを決意していたのです。

 

マルコによる福音書8章31節(新77頁)の第一回目の「死と復活の予告」において、主イエスは、「自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。」(8:34b)と、弟子たちに言われていました。

わたしたちもシモンのように、自分の十字架を背負わされます。現在のわたしたちの日々の生活が平安な心の中で過ごすことが出来ているのは、主イエスの十字架の苦しみの下で自分の罪が赦されたからです。

わたしたちが、自分の十字架に向き合い、これを背負うことが、神がわたしたちに与えてくださる十字架の道なのです。それが主イエスの愛と献身に応答してわたしたちが生きる道なのです。

 

2.十字架に付けられるユダヤ人の王

 

25節には、主イエスが十字架につけられたのは午前9時だったと書かれています。

26節に「罪状書きには、「ユダヤ人の王」と書いてあった。」」と書かれています。この罪状書きのことは、四福音書すべてに書かれていますので、罪状書きの「ユダヤ人の王」という称号が持つ意味はとても大事なことなのです。

 

 ヨハネによる福音書19章19節(新207頁)には、「ピラトは罪状書きを書いて、十字架につけた」と書かれています。そして、21節には「ユダヤ人の祭司長たちがピラトに、「『ユダヤ人の王』」と書かず、『この男は「ユダヤ人の王」と自称した』と書いてください」と言った。」と書かれています。

これに対してピラトが、「わたしが書いたものは、書いたままにしておけ」と答えた。」というやり取りがあったことも書かれています。

 

多くの著名な画家たちが、主イエスが十字架に架けられた絵を描いていますが、ピラトが書いた「ユダヤ人の王」という「罪状書きのプレートの言葉」については、ラテン語の大文字で「INRI」と描き込んでいます。

ラテン語で「イエス=I・ナザレの=N・王=R・ユダヤ人の=I」という四つの言葉の頭文字です。

十字架上の主イエスは、輝かしい王冠の代わりに、茨の冠が被せられ、主イエスが架けられた十字架の上に「INRI」と書かれた罪状書きが、主イエスの即位式を記念するボードとなっているのです。

 

人の上に君臨し、力を持ち、権力を振るっている、というのが普通の王ですが、主イエスは人々に、「皆に仕える者」「すべての人の僕になりなさい」と言われていました。主イエスは、まさにそのことを実践される王となられたのです。

「ユダヤ人の王」である主イエスは、普通の王ではありません。権力を持たず、力を持たず、むしろ持っているものは何もかも与え尽くしてしまう王なのです。

 

27節に「また、イエスと一緒に二人の強盗を、一人は右にもう一人は左に、十字架につけた。」と書かれています。続く28節は本文中には書かれていません。その代わりに十字のマーク+が印刷されています。28節の言葉は、有力な写本には書かれていないことを示しているのです。

 

新約聖書98頁の下段の注15にその内容が書かれていますのでご覧ください。

「こうして、「その人は犯罪人の一人に数えられた」という聖書の言葉が実現した。」と書かれています。主イエスが、犯罪人の一人として十字架につけられたこともまた、主イエスに加えられた苦しみの一つであり、主イエスがわたしたち罪人の中に数えられるために来てくださったと、いうことなのです。

 

29-32節には、「おやおや、神殿を打ち倒し、三日で建てる者、十字架から降りて自分を救ってみろ。」「他人は救ったのに、自分は救えない。メシア、イスラエルの王、今すぐ十字架から降りるがいい。それを見たら、信じてやろう。」と書かれています。

人々は、主イエスがご自分をメシア、つまり救い主であると言っておられたことから、お前が本当に救い主なら先ず自分を救ってみろ、奇跡を起こして十字架から降りてきて見せろ、救い主なら出来るはずだ。人々は「王」という言葉が思い起こすことに反する、弱々しい王だと侮辱しているのです。それが出来ずに十字架につけられているお前は救い主などではない、と言って侮辱しているのです。そして、一緒に十字架につけられた犯罪人たち、強盗たちまでもが、イエスをののしったとあります。

 十字架の主イエスをののしった祭司長たちや律法学者たちも、強盗たちも同じだ、さらには聖書を読む読者に対しても、主イエスを弱々しい王だと侮辱するような気持ちを持つとすれば、あなたは彼らと同じなのだと、告げているのです。

 

そして33節には、昼の12時に息を引き取られたと書かれています。

当時のユダヤの暦では、一日の終わりと始まりは日没でした。日が沈んでこの金曜日が始まりました。長い金曜日でした。

最後の晩餐、ゲッセマネの祈りが行われ、ユダの裏切りによる逮捕、そして早朝のサンへドリンでの裁判、ピラトの尋問と続き、ヴィア・ドロローサ(苦難の道)の行進をさせられて午前9時に十字架に架けられ、昼の12時の十字架上の死へと続く、長いヴィア・ドロローサ(苦難の道)だったのです。

 

3.聖書の言葉が実現した

 

大切なことは、主イエスの十字架の出来事は、予期できなかった突発的な出来事ではないということです。主イエスが極限の苦しみを受けて死ぬことを、父なる神は計画し、予告しておられ、そして神はわたしたちのための救いのみ業を行なって下さったのです。「聖書の言葉が実現した」ということなのです。

 

わたしたちがどんなに想像力をたくましくしても、主イエスが十字架においてお受けになった苦しみのほんの一端にしか触れることはできません。

むしろわたしたちは、聖書の登場人物から、自分自身も主イエスに深い苦しみを与えている者であることを思い知らされるのです。

そしてわたしたちが主イエスと共に、その苦しみのほんの一部でも背負って、主イエスに従って歩んでいくならば、主イエスの苦しみが自分のための苦しみであり、その苦しみと死とによって、どうしようもなく弱い罪人であるこのわたしを主イエスが赦し、救って下さり、すべてを主イエスが担い、支えて下さっていることを、身をもって体験していくことになるのです。

 

主イエスは力を振るってではなく、静かにわたしの中に入り込んで来られます。

主イエスは、侮辱と暴力をご自身の身に受け、すべてを背負い、罪人であるわたしたちを愛し、その罪を赦してくださいます。

 

主イエスは、ユダヤ人の王として、神の民のまことの王として、神の救いにあずかる者たちが従うべき方として十字架に架かられました。

「ユダヤ人の王」という罪状書きが書かれたのも、兵士たちが主イエスをののしり、侮辱したことも、主イエスが犯罪人の一人に数えられたことも神のご計画の中にあったことであり、聖書の言葉が実現したことなのです。

 

主イエスが静かにわたしたちのところにも入って来られます。

そこに真実があるのです。


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《教会基本聖句》

疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。

​(新約聖書マタイによる福音書11章28節)

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