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飼い葉桶から十字架への愛(ルカ2:1-7) 20251224

更新日:2025年12月25日

本稿は、2025年12月24日の日本基督教団杵築教会におけるクリスマス賛美集会の説教要旨です。 杵築教会 伝道師 金森一雄

クリスマス賛美礼拝聖書朗読と賛美奉仕者の笑顔
クリスマス賛美礼拝聖書朗読と賛美奉仕者の笑顔

(聖書)ルカによる福音書2章1-7節

 

1.主イエスの誕生の様子

 

クリスマスに行われる教会学校の子供たちによる主イエスの降誕劇、いわゆるページェントは、ルカの福音書をベースにして、次のように構成されています。

皇帝アウグストゥスの勅令によって、ガリラヤのナザレに住むヨセフとマリアが、住民登録をするために、身重のマリアの出産が迫っていたのに、遠いユダヤのベツレヘムまで、旅をしなければなりませんでした。ようやくベツレヘムに着いた時、マリアはいよいよ産気づいたのです。あちこちの宿屋を探したが、どこにも泊まれる部屋がなかった。それでマリアは、馬小屋で主イエスを産み、飼い葉桶に寝かせなければならなかった。

 

だいたいそういうストーリーにとなっているのです。

こういう話は物語としては、メルヘンチックで面白いし、しかも大切なメッセージを伝えているように感じられます。

先ずは、時の権力者の身勝手な命令に振り回される庶民の苦しみの様子が語られ、そうした中で救い主イエスがお生まれになったのだということが強調されているのです。

 

2.住民登録の勅令

 

これから、ルカがどのような気持ちでこの聖書箇所を書いたのだろうか、という観点からご一緒に聖書に沿ってみ言葉を聞いていきたいと思います。

ルカによる福音書2章1節には、皇帝アウグストゥスが、「全領土の住民に、登録をせよとの勅令」を出したとあります。

今日の「国勢調査」です。それぞれの地域に住む人々の数や経済状態、生活の様子を調べることによって、ローマ帝国全体の力、勢いを正確に知り、それによって税金収入の計画を立てて政策決定の基礎データを収集するために行われたものです。当時のユダヤは、独立国家でしたが、ヘロデを王とする形ばかりの、いわゆる傀儡政権で、ユダヤは事実上ローマの支配下にありました。

そのため、ローマ帝国の住民登録の勅令に従うべき対象に含まれていました。

 

ルカによる福音書の1章3節には、「ユダヤの王ヘロデの時代」と書かれていましたが、2章2節には、お隣りのシリア州の総督がキリニウスであったことと、キリニウスにとっての最初の住民登録であったことが書かれています。

ルカは時代考証がきちんとできるように、当時のローマ帝国の皇帝アウグストゥスとユダヤのヘロデとシリア州総督のキリニウスの三人を並べて、紀元前27年からの「ローマの平和」(パックスロマーナ)と言われる、強力な軍事力と法制度によって秩序が維持されていく、ローマ帝国の安定的支配と平和の時代が始まったことと重ねて、主イエスの御降誕劇を書こうとしたのです。

 

3節に、「人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った」と書かれています。4節には、ヨセフがダビデの家系であることと、ヨセフがいたのはガリラヤの町ナザレであって、「ベツレヘムというダビデの町へ上って行った。」とさらっと書かれていますが、すべて旧約聖書に預言されている通りのことが実現して行っている様子を書いているのです。

果して当時の住民登録が、自分の町、つまり先祖の町、いわば本籍地に行って登録しなければならなかったのか、という点については疑問のあるところです。ヨセフもそうでしたが、本籍地を離れて暮らしていた人も多かったので、今住んでいる所で登録をした方が現状が正確に把握できてよいはずですし、人々がいっせいに本籍地に戻って登録をするのは、現実離れしています。

話が横道にそれてしまいますので、ここでは聖書に書かれている通りに、本籍地に戻って登録が行われたこととして話を続けさせていただこうと思います。

 

6−7節には、「ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。」と書かれていますが、単純に住民登録のために宿屋が混んでいたと言うだけではなさそうです。

 

ユダヤ人にとっては、出エジプト記22章20節に「寄留者を虐待したり、圧迫したりしてはならない。あなたたちはエジプトの国で寄留者であったからである」、レビ記19章34a節に「あなたたちのもとに寄留する者をあなたたちのうちの土地に生まれた者同様に扱い、自分自身のように愛しなさい」、という律法と信仰に深く根ざした倫理感を持っていました。

ですから、既に彼らはベツレヘムに滞在していたと思われます。

 

それでは、7節に、「宿屋には彼らの泊まる場所がなかった」というのはどういう意味なのか、ということになります。当時の宿屋は、山小屋のように皆が雑魚寝するような粗末なものでしたから、そこで出産するわけにはいかなかったということではないかと思われます。

ところで、聖書には出産した場所が馬小屋だったとは書かれていません。馬小屋というのは、生まれたばかりの主イエスを「飼い葉桶に寝かせた」という一言から推測されているだけなのです。

 

3.本当の救い主は誰か

 

そのように考えると、いろいろなことが気になるのですが、聖書に書かれているこの時の状況は、当時としてはごく普通のことであり仕方のないことだったようです。ベツレヘムの人々や宿屋に泊まっていた人々の心が、旅人のマリアをもてなせないほど特別にすさんでいたとまでは思えません。

それでは、この主イエス誕生の物語においてルカは何を語ろうとしているのでしょうか。わたしたちはここから何を聞き取ればよいのでしょうか。

 

ルカは、皇帝アウグストゥスの勅令に従ってヨセフとマリアの旅がはじまり、その旅先で主イエスがお生まれになったと聖書で語ることによって、主イエスの誕生が、この世界全体の政治的、経済的、軍事的な動き、支配とは無関係ではないこと、むしろ深く結びついた出来事であるということを素直に語ろうとしているのです。当時の人々にとって、ローマ帝国こそが様々な民族を包み込む世界と考えられていました。皇帝は全世界の圧倒的な支配者でした。

実際に当時は、アウグストゥスのことを「救い主」と呼び、その誕生日を「福音」つまり救いをもたらす良い知らせとしてお祝をしていました。ローマの平和をもたらしたアウグストゥスに、そのような仕方で人々が感謝の気持ちを表していたようです。

 

一方で、ルカは1章32-33節で、生まれてくる主イエスが、「いと高き方である神の子と言われる。神である主は、彼にダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」と書いています。

ですから、ルカは、主イエスの名を世界の支配者皇帝アウグストゥスの名と並べて書くことによって、人々にいったいどちらが本当の王、支配者なのか、という問いを投げかけているのだろうと思います。

 

主イエスの誕生については、旧約聖書のミカ書5章1節で「エフラタのベツレヘムよ、お前はユダの氏族の中でいと小さき者。お前の中から、わたしのためにイスラエルを治める者が出る。彼の出生は古く、永遠の昔にさかのぼる」。と、預言されていました。

主なる神が旧約聖書の時代からイエスの誕生を計画し、預言者に告げておられ、その計画の成就こそが、主のみ心の実現だったのです。このように考えてみますと、まさに神の計画の実現のために、皇帝アウグストゥスの勅令がむしろ用いられたということが分かります。

皇帝が、この世の支配者として下した命令によって、ヨセフとマリアも苦しい旅を強いられました。ところが、皇帝の支配を象徴する勅令が、実は主なる神の救いの計画の中にあったものであり、ベツレへムでの救い主の誕生という預言が成就されるために用いられたということなのです。

まさに、主なる神こそが、わたしたちの救いを実現して下さる方だということをルカは、このようにして強調して書いているのです。

 

4.この世の現実に感謝する

 

わたしたちには今、いろいろと気掛かりなことがあります。

環境破壊、温暖化のこともあるし、この国の政治はもとより国際政治のことも、また国際社会の動向、世界は再び冷戦に向かうのかなど、不安なことをあげればきりがありません。

また、それぞれの個人的な生活の中でも、いろいろな不安、気掛かりなことがあります。

しかし、ここでわたしたちに、同時に示されていることは、それら全てのことを支配し、導き、用いておられたのは主なる神だということです。

 

そして神は、この不安に満ちた現実の中に救い主を誕生させて下さいました。皇帝の勅令も、その神のみ心を実現するために用いられたのです。

主イエスが、家畜の「飼い葉桶」に寝かされていたということは、神の独り子主イエスが人の子としてこれから歩まれる厳しいご生涯を、とりわけその最後の「十字架」の死を暗示しているのです。

 

そのように考えてみますと、「飼い葉桶」も「十字架」も主イエスの愛を象徴するものとして受け取ることができます。

主は、そのような人が忌み嫌うものまでも用いてくださって、わたしたちのための救いのみ業を成し遂げて下さったのです。そして、主イエスの復活によって、わたしたちにも、死に勝利する新しい命の約束を与えて下さったのです。

 

わたしたちが今感じている様々な不安、憂慮、心配は全て、「飼い葉桶」から「十字架」への父なる神の愛のみ手の中にあることです。

神はわたしたちの困難も逆境をもご存じで、それらすべてを用いて、救いのみ業を必ず実現させて下さるのです。

 

そのように受け取ると、主イエスのご降誕を感謝して受け止めざるを得ないのです。その気持ちを込めて、どうぞお隣の方と目を見合わせて、「メリー・クリスマス!」と改めて挨拶してみましょう。



 
 
 

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疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。

​(新約聖書マタイによる福音書11章28節)

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