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耐え忍ぶ者(マタイ13:1-13) 20250713
聖書が言う「忍耐」ὑπομένω(ヒュポメノー)とは、神が共におられることを信じて耐えることです。終わりを待ってただ我慢するというものではありません。夜明けを待つ輝く希望の忍耐です。神が共にいて、忍耐を支えてくださいます。そして、神が必ずよいようにしてくださるという、信仰に生きることができるのです。喜びのうちに、讃美を口にしながら、神と共に耐えるのです。わたしたちもそれならできそうです。神が備えてくださるよき終わりを見据えて歩むことができるのです。
abba 杵築教会
2025年7月13日読了時間: 9分
へりくだって神と共に歩む(マルコ12:35-44) 20250706
たくさんの財産を持っていても、知らず知らずのうちにひそかに財産に束縛されている多くの人たちがいます。ところが、このやもめは何も持たないが、すべての財産から完全に自由な存在でした。このやもめは、神に明日を委ねることができました。主イエスの言葉に従って歩む存在であることを証ししています。そして新約聖書の中でのこのやもめのへりくだって神と共に歩む証しが、2000年の歴史の中で伝えられて不思議で美しいものになっているのです。
abba 杵築教会
2025年7月6日読了時間: 9分


まことのわたしの掟(マルコ12:28-34) 20250629
主イエスは、マルコによる福音書12章34節で、「あなたは、神の国から遠くない」と言われました。遠くないと言うことは、何かが足りないと言うことでしょう。でも、近いということです。
方向性は間違っていないということです。
主イエスはその律法学者に、あなたの目の前にはわたしがいる、わたしを信じてわたしに従って歩むことだけが足りない。わたしの道を受け入れて全行程を走ることであなたは神の国の真実の市民になる。と教えておられたのです。
abba 杵築教会
2025年6月29日読了時間: 10分


70代で献身し無牧教会に赴任 20250622
わたしの中に、たましいの収穫を「信じたい」と思うのと同時に、「駄目かな」とも思う弱さがあります。
自分の力ではなく主イエスに頼る、困難を神さまからいただく愛の試練として受け止める、その信仰をもって主イエスに聞き従う謙遜な者でありたいと願っています、
abba 杵築教会
2025年6月22日読了時間: 1分
生きている者の神(マルコ12:13-27) 20250615
一見、これは「皇帝のもの」ではないかと思われるようなものも持っているかもしれません。しかしそれらはすべて神からのものなのです。神のものは神に返すという一つの基本に従って、わたしたちは歩むのです。わたしたちは、「神のものは神に返しなさい」と主イエスが言われて、「神のものとは何ですか」と問われたなら、信仰を持って「それはわたしです」と答えることによって、申命記26章18節に書かれている「宝の民」にさせていただくのです。
abba 杵築教会
2025年6月15日読了時間: 10分
主がなさったこと(マルコ12:1-12) 20250608
神に遣わされた独り子主イエスは、神から与えられた使命を果たされるために、エルサレムに来られたのです。そしてわたしたちの罪を贖うために、この後十字架に架かられます。
その信仰に従って、今日もわたしたちはこうして礼拝を捧げているのです。
わたしたちのくだかれた心が、神が最も喜んでくださるわたしたちの実りの捧げものなのです。
abba 杵築教会
2025年6月8日読了時間: 8分
神を信じなさい(マルコ11:22-33) 20250601
主イエスが、神を信じなさいと言われて信じたわたしたちの人生に、神は権威をもって介入して来られます。お前たちの主人はもはやお前たちではない、「主人はわたしだ」と神が宣言されてわたしたちを支配して下さるのです。
神のご支配に服従し、わたしたちの人生の主導権を主イエスに明け渡すことによってこそ、この救いの恵みがわたしたちにもたらされ、与えられるのです。
abba 杵築教会
2025年6月1日読了時間: 10分
実を結ぶいちじくの木(マルコ11:12-21) 20250525
主が来られる終わりの時を待ち望みつつ、わたしたちは、つねに、主イエス・キリストを主人とする神の家を建て続けるのです。わたしたちが、主イエスの救いの下に集められることによって、家を建てる者の一人とされていくのです。そこには常に、すべての人の祈りの家としての実りがあります。
主イエスが再び来られる時にも、わたしたちは枯れずに、実を結ぶいちじくの木となっているのです。
abba 杵築教会
2025年5月25日読了時間: 10分
子ろばに乗って(マルコ11:1-11) 20250518
主イエスのエルサレム入場は、このように子ろばに乗ってエルサレムに入るという象徴的な行動を通して、ご自身がメシヤであること、しかも力によるメシヤではなく平和の中にやって来る方であることを示しています。主イエスは、このとき自分が何者であるのか、革命や戦争をするためにやって来たのではなく平和をもたらすことが目的であることを公然と示したのです。
abba 杵築教会
2025年5月18日読了時間: 10分
祈りの意味(マルコ10:46-52) 20250511
主なる神の知恵と知識を求め、神の御心を第一にして生きるなら、神に喜ばれ、それらの神の知恵と知識が与えられるばかりか、求めなかった地上での必要なものも与えられるのです。
さらに、マタイによる福音書11章26節には、「だから、言っておく。祈り求めるものはすべて既に得られたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになる。」と書かれています。
主イエスが言われていることをしっかり受け止めて、感謝の祈りをさせていただきましょう。
abba 杵築教会
2025年5月11日読了時間: 10分
完全な身代金(マルコ10:32-45) 20250504
人間の歴史を振り返ると、ダビデのように身代金を支払わなければならないような事態が延々と続いています。
人は身代金を払えたとしても、また何らかの罪を犯すのです。罪の繰り返しが行われる中で、神はどうしようもないわたしたちを憐れんでくださいました。そして、罪のない神の独り子による「完全な身代金」としてわたしたちの罪の代価を支払ってくださったのです。
わたしたちが、罪との完全な決別を行うことを主は望んでおられるのです。
現代の教会に生きるキリスト者は、「完全な身代金」を信じて御言葉に従う者です。
abba 杵築教会
2025年5月4日読了時間: 8分


故 白石玲子葬儀 20250428-29
日本基督教団杵築教会において、故 白石玲子の葬儀が、2025年4月28日(月)に[「前夜の祈りの会」、29日(火)に「葬儀・告別式」が執り行われました。 故 白石玲子 1932年2月6日誕生、2015年4月27日召天 故 白石一郎の遺作
abba 杵築教会
2025年4月29日読了時間: 1分


神は何でもできる(マルコ10:17-31) 20250427
誰もが聖書の言葉の前に、立ちすくむ経験をします。その時、自分はそこそこ、うまくやっている、他の人よりはましだ、と思っていたのでは変われないのです。人間が変わるためには、まず自分の至らなさを思い知る必要があります。
実は、それが一番難しいことなのです。しかし、難しい、不可能と、諦める必要はありません。わたしたちが変わることができる道があります。もうお分かりだと思います。
主に従う者は、災いも重なるが、「罪に定められることがない」、「神は何でもできる」と言われる主イエスを信じ切って、復活祭を終えて聖霊降臨日に向かうこの復活節の日々を、主の手にひかれて共に歩み続けさせていただきましょう。
abba 杵築教会
2025年4月27日読了時間: 10分
神は何でもできる(マルコ10:17-31) 20250427
誰もが聖書の言葉の前に、立ちすくむ経験をします。その時、自分はそこそこ、うまくやっている、他の人よりはましだ、と思っていたのでは変われないのです。人間が変わるためには、まず自分の至らなさを思い知る必要があります。
実は、それが一番難しいことなのです。しかし、難しい、不可能と、諦める必要はありません。わたしたちが変わることができる道があります。もうお分かりだと思います。
主に従う者は、災いも重なるが、「罪に定められることがない」、「神は何でもできる」と言われる主イエスを信じ切って、復活祭を終えて聖霊降臨日に向かうこの復活節の日々を、主の手にひかれて共に歩み続けさせていただきましょう。
abba 杵築教会
2025年4月27日読了時間: 10分


竹井真斉牧師:新たなスタート(マルコ16:1-8) 20250420
復活のイエス様は、ペトロを始め弟子たちの一切の罪を赦し、再び御自分の弟子として召し出し、お遣わしくださいました。私たちの信仰の歩みはそれこそ浮き沈みが激しいものかもしれない。しかしガリラヤがあるのです。何度でもイエス様は私たちを見捨てず、召し出してくださるのです。私たちがイエス様によって神様の子であるが故に、どこまでも私たちを愛し導いて下さる。私たちが必要だと言って下さる。わたしと一緒に生きてほしいと言って下さる。だから、どれほど私たちが挫折するようなことになるとしても何度でもやり直せるのです。
abba 杵築教会
2025年4月20日読了時間: 10分


幼子のような信仰(マルコ10:1-16) 20250413
13節には、弟子たちが「(人々を)叱った」と書かれています。たしなめるとも訳すことができて、それほど強い感情を表す言葉ではありません。しかし14節の、主イエスが弟子たちを「(見て)憤り」という言葉は、憤慨する、怒り狂うという厳しいものです。
主イエスが弟子たちを見て激怒したのですから、弟子たちもびっくりしたでしょう。弟子たちは主イエスに一番近い存在でしたから、神の国は自分たちのものだという特権意識があったのでしょう。そのことを主イエスは厳しく憤られているのです。
主イエスは、子供を人格を持つ一人の人間として見つめること、そして親と子が共に生きることを強く求めています。そして主イエスは、14節bで、「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。」と言われたのです。
そして15節で、「はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」と仰って、16節で「そして、子供たちを抱き上げ、手を置いて祝福された。」と書かれているのです。
abba 杵築教会
2025年4月13日読了時間: 9分
平和に過ごしなさい(マルコ9:41-50) 20250406
最後の50節の終わりに、「そして、互いに平和に過ごしなさい。」と書かれています。この今日の聖書箇所の総括となる言葉で、「平和に過ごしなさい」を説教題とさせていただきました。
わたしたちは、神の独り子イエス・キリストの恵みに、既にあずかっていて、キリストのいのちの血潮を注がれているのです。わたしたちは、その恵みの中で、他の人を慰め、励まし、生かし、他の人の良い味を引き出し、他の人にいのちのことばを語る者へと変えられていくのです。わたしたちは、互いに平和に過ごし、平和を作り出す、平和につながる、歩みをさせていただくのです。
主イエスは、「一杯の水」を飲ませる者は、必ずその報いを受ける、と約束してくださいました。そして、自分の手、足、目で他の人をつまずかせることなく、塩で味付けされた言葉を人々に告げ知らせ、自らもその言葉を聞いて歩み、「平和に過ごしなさい」と、わたしたちに仰っているのです。
今日の聖書箇所で、「命にあずかる方がよい」「神の国に入る方がよい」「地獄では蛆が尽きることも、火が消えることもない」と激しい言葉で語られた、主イエスの熱い思
abba 杵築教会
2025年4月6日読了時間: 8分


キリストの名(マルコ9:38-40) 20250330
40節に、「わたしたちに逆らわない者は、わたしたちの味方なのである。」と、主イエスがヨハネに言われた言葉が続きます。「味方」とは「そばに(同じ側に)立つ」という意味です。ここで、主イエスは、「わたしたちに反対しない者は、わたしたちの味方である」という大原則を示されました。
主イエスはここで、ヨハネに対して、キリストの名を使っていることで、自分たちの気に食わない用い方に思えるかもしれない、気に食わない相手かもしれないが、本当に敵なのか、「キリストの名」という共通点があるではないか、それなら「味方」、同じ側に立つ者ではないか、と言われたのです。ローマの信徒への手紙8章31節(新約285頁)で、パウロが、「では、これらのことについて何と言ったらよいだろうか。もし神がわたしたちの味方であるならば、だれがわたしたちに敵対できますか。」と語っています。神さまが「味方」でいてくださるならば、わたしたちにはもはや敵がいないも同然になるというのです。
abba 杵築教会
2025年3月30日読了時間: 9分
すべての人に仕える者(マルコ9:33-37) 20250323
35節に、「イエスが座り、十二人を呼び寄せて言われた。「いちばん先になりたい者は、すべての人の後になり、すべての人に仕える者になりなさい。」」と書かれています。
ここで主イエスが言われたかったことは、「すべての人に仕える者になりなさい」ということです。
「仕える」という、もともとの意味は、食事の世話をする、給仕をするということです。そこから、食事だけでなく生活全体の世話をするという意味に拡がっていきました。ここで「仕える」というのは、人のために気配りすること、人のお世話をすることを意味します。
主がすべての人に仕える人になりなさいと言って、私たちを招いておられることが分かると、人と自分を比較をして競い合う愚かさに気が付きます。世界が違って見えてきます。共に仕え合い、共に歩み、共に生きる世界が見えてきます。そして、自分たちの心から、自分が偉くならなければならない、重んじられなければならない、軽く見られたくない、といった思いから解放されるのです。人と一緒に歩む道が大切に見えてきて、主イエスの愛が分かってくるのです。
abba 杵築教会
2025年3月23日読了時間: 9分
新しい契約(マルコ9:30-32) 20250316
かつて罪の問題は、本来自己責任でした。ところが人間の自己責任では、いつまでも罪の問題が解決されることはありません。人間は、また罪を犯してしまう。また自己責任で罪の赦しを得るという、負の連鎖がいつまでも続くのです。しかし神の子が犠牲を払ってくださる。それが「新しい契約」です。人間の罪の赦しのための犠牲を主イエス・キリストの十字架によって、果たしてくださいました。主イエスが罪の赦しを成し遂げてくださり、私たちはその主イエスを救い主として信じる、それが新しい契約です。
abba 杵築教会
2025年3月16日読了時間: 10分
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